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11月のママクラブは
山梨市万力公園にて
小さい秋
見つけた
大会です♪♪
ビニール袋に
ママ・パパ
と拾って
いたら・・・
子供たちは
遊び
出しました★★
ダイチは
両手に
花よ~★★
画用紙に
子供の
感性で
ペタン♪♪
1番に出来た
大井俣窪八幡神社
(地元の人はやわた神社と
呼んでいます)
から
徒歩10歩の
養老酒造併設カフェ 酒蔵
窪田ファミリー
長女の藍子ちゃん(5歳)・薫子ちゃん(7ヶ月)
今回初参加で
しかも
ご主人様も
一緒に
とっても
幸せ一杯の
オーラ出ていました★★
そして
うちの息子・・・
そらは・・・
のんきにおやつタイム
そして・・・
途中参加の
友人ゆきの娘 あおいちゃん(2歳)
ママが2人目が臨月の為
妹のゆみちゃんが参加!!
パパもママも居ないけれど
あおちゃんは頑張って
ペッタン
出来ました★
乙羽ちゃん(4歳)・実羽(2歳)
最初は静かだった
2人…
遊具で遊んだら
元気に!!!!!!
ずっと
遊びたかったのかな~♪
のりで
貼り付けたので
乾かなくて
ポロポロ
ハガレテしまった・・・
でも次は
接着剤ならば
手に持って
ポーズ!!!
出来るね★★
一つ
お利巧に
なりました。。。
恵奈ちゃん(4歳)
誇らしげな
顔が
達成感
たっぷりで
カワイイ♪♪
いったん解散して
薄暗くなるまで
遊びました♪♪
早速
パパに
作品を
見せてました
テーマ
~電車にもみじが降ってるところ~
チャッカリ
そらも
残り落ち葉で
チャチャっと
だいちも
2作品
我ながら
独創的な
感性に
『だいち天才でしょ?!』
と親バカ
発言!!!!
我が家の
天才
画伯建ちの
作品を
お家に
『どこに飾る?!』
と子供に
聞いて
飾ってくださいね~★
我が家は
パソコン画面の
上に
あります♪♪
友達・お客さんが
只今
ベビーラッシュ!!!!!!!!!!!!!!!!
11月21日
2766g 47.5cm
心誓(しちかチャン)
ママの元職場の後輩の
宝物ですッ★
初産で
分娩室入って
40分!!!!!
私が
聞いた中でも
最高記録更新♪♪
寝んね中で抱っこできなかった・・・・・
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
11月24日
あいなちゃん
抱っこしているパパさんは・・・
『Hideki Tanaba』
?!?!?!?!?!?1?!?!?!?!?
『アジアン建築 和みの空間』
な・ん・と
charmの
大工さん
なのです★★
高校生からの
友人です♪♪
可愛すぎて
パパに
抱っこ
させてくれませんでした★
『あいちゃん』
ママは
陣痛の中の
急遽
帝王切開で
4人の
看護婦さん達4人に
羽交い絞めに
されながらも
脊髄に
麻酔・・・・
私も
ダイチ=普通分娩と
そら=帝王切開の
を経験したが
一気に
初産で
2回分
経験するなんて
本当・・・
母は強し!!!!!
「もう出産はコリゴリ・・・・・」って
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
11月30日
3348g 52cm
太郎君(あだ名)
『声が出ないように
腕に力を入れながら
いきんだら
上半身から
指先にかけて
筋肉痛です』
とあっこママ。
パパもシッカリ
抱っこ
してきました★
この日は
cham定休日にして
子供も
あまり大きな声では
言えないが…
保育園ずる休みして
「赤ちゃん見に行こうね」
と行ってきました♪♪
が・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真には
パパの姿しかない↓↓
実は
子供は
産科病棟には
入れません。
との
張り紙が・・・・・
ダイチとソラは
「なんで入れないの」
の問いかけに
「ばい菌扱いされているよ」
と言ったら
「いい子いい子したかったな」
とのこと。。。
本当
見せてあげたかったな~↓↓
パパが
見に行ってる間に・・・
窓の
外に
『お化けが10個居るよ』
とダイチ
暇だったので
お化けと
遊んでました★★
寂しい思いをさせてしまい
帰りに
外食でチョット
ご機嫌に♪♪♪
山梨県の
山の頂上にある
『ほったらかし温泉』へ
5年ほどかな?!
前は
まだ
しかなくて
本当に
露天風呂のみの
ほったらかされている
感じが
GООD★★
そらが産まれて
以来、、、、、
3年ぶりに
行ったら・・・
あまりの
劇的改装に
ビックリしました!!!!!
Tシャツも
あって
おもしろいです★
景色も
最高で
お湯加減も
長く
入るには
ベスト!!!!!!
そして
温泉に
入りながら
”富士山”
最高~~~~~~~
山梨県の
人は
「静岡で見るより、山梨側の方が綺麗!!!!!」
と必ず
言うので
是非
確認してみて欲しいです★
ちょっと今日は
雲で
イマイチでしたが・・・
帰りは
近道を
しながら
紅葉を
満喫♪♪♪
心もお肌も
大満足な時間でした◆
ただ
近道は
ジェットコースター
のように
スリル
いっぱい↑↑
江戸城は、武蔵国(現東京都千代田区)に1457年太田道灌が扇谷上杉氏の持城として、江戸湾を望む丘陵の北端に築いたのが始まりで、その後、後北条氏の滅亡により、1590年徳川家康が関東に移封(256万石)されて居城としました。
1603年家康は、征夷大将軍となり江戸に幕府を開き、1604から全国の諸大名に命じた天下普請で江戸城の更なる築城を始め、三代将軍家光の時代に、わが国最大の近世城郭として完成し、徳川将軍家(400万石)の居城として明治まで続きました。
1869年明治天皇が西の丸を皇城とし、以後皇居として現在に至ります。
見所は、桜田門、大手門、切り込みはぎの巨石による天守台、二の丸庭園などで、内堀越しに見る、
二重橋、伏見櫓がとても綺麗でした。
松代城は、信濃国(現長野県長野市)に、1553年から1564年まで5回に及ぶ川中島の合戦のために、武田信玄が、千曲川沿いの平地に築城したのが始まりで、当時は、海津城と呼ばれていました。
武田家滅亡後、、森長可、村上景国、田丸直昌と城主が代わる度に整備され、1600年、森忠政(13万7千石)が入封して近世城郭に整備された。
その後、家康の6男松平忠輝、松平忠昌(12万石)、酒井忠勝(10万石)、と続き1622年上田から真田信之(8万8千石)が入封して以降、真田氏の居城として明治まで存続しました。
現在城跡には、復元により、太鼓門櫓、橋詰門、北不明門、馬出の土塁、石垣などが整備されており、近くには、真田邸、旧松代藩文武学校、武家屋敷などが残っており、当時の面影を忍ばせていました。
首里城は、琉球王国(現沖縄県那覇市)に、三山期に中山のグスクとして建設され、三山を統一した尚巴志王が整備を開始し、尚真王、尚清王が王城にふさわしい規模に拡張整備した。
1609年尚寧王の時代に薩摩島津氏の進攻により、島津軍は琉球上陸後わずか5日間で首里城を陥落させ、琉球を薩摩藩の支配下に治められました。
1879年尚泰王の時代に明治政府に首里城を明け渡し琉球王国は、消滅しました。
城跡は、国宝に指定されていましたが、戦災で破壊され、近年、正殿など主要部が復元整備され、平成12年世界遺産に登録されました。
正殿や守礼門など場内の建物のほとんどが朱塗りで、とても煌びやかで、ゆるやかな曲線の石垣と共に見所でした。
川越城は、武蔵国(現埼玉県川越市)に1457年扇谷上杉持朝が、家臣、太田道真、道灌親子によって築城されました。
その後、北条氏の支城として、氏康による川越夜戦の舞台としても知られています。
秀吉による小田原攻めで、川越城も前田利家に攻められ落城しました。
家康の関東移封後は、譜代大名が入替わり、、1639年松平(大河内)信綱が6万石で入封して城下町や街道の整備、城の拡張を行い近世城郭にした。
松平(大河内)氏後、柳沢氏(7万2千石)、秋元氏(5万石)、松平氏(15万石)松平(松井)氏(8万石)と続き明治を迎えています。
現在、本丸御殿が残っており、玄関、広間の杉戸絵などが見事でした。また、家老詰所からの庭の眺めも癒されました。
甲府城は、甲斐国(現山梨県甲府市)に、武田家滅亡後、1585年徳川家康の家臣、平岩親吉が旧一条忠頼居館跡の小山に築城を始め、家康移封後、羽柴秀勝、加藤光泰に引き継がれ、浅野長政、
幸長の時代に完成した。
江戸時代になり、甲州街道の要の地である甲府を重要視した幕府は、
1609年徳川家康の9男徳川義直を25万石で入封、その後、2代将軍秀忠の3男徳川忠長(20石)、
3代将軍家光の3男徳川綱重(25万石)と続き、綱重の子綱豊が5代将軍綱吉の養嗣子となり
6代将軍家宣になりました。
1704年綱吉の側用人、柳沢吉保が15万1千石で入封、城の大修築、城下町の整備をおこないました。
1724年柳沢吉里が大和郡山に転風後、甲府は幕府の直轄地となり、
甲府勤番が明治まで在城しました。
近年、城跡は復元整備され、稲荷櫓、山の手門、鍛冶曲輪門、内松陰門、稲荷門があり、
野面積みの豪壮な天守台からの甲府盆地の眺めは最高でした。
運動会の次に
大きなイベント…
生活発表会。
年長・花組さんの
『コウミョウソーラン』
開幕。
初めてのイベントに
少し緊張気味の
そら。
初楽器タンバリン・カスタネットに
『幸せなら手をたたこう』
『ドレミの歌』
♪ドレミファソラちゃん♪(清水さんが言ってくれました)
挑戦!!!!
だいちのミュージカル『エビカニクス』
だいちはカニ役
「カニ、カニ、カ~ニ、カニ。カニは男のど根性。…」
カニ・エビ・サメ・クラゲ・貝チームでの戦いに
それぞれ個性のある
キュートなエビ。
ラップ調のサメ。
ふんわりふんわリのクラゲ。
フラメンコの貝。
の戦い。
エビ・カニ合同チームの勝ち!!
楽しいミージカルでした。
だいちゃんスマイルで
とても楽しそうでした★
年長さん
最初の歌では
指立てに3本入るくらいの
大きな口
(担任のしばた先生指導によると)
『和太鼓』
圧巻の出来ばえに
会場も
皆さん
見入っていました。
そらの”妖精”
センターに居たが
出来はボチボチ・・・
カワイイから、まッいいかな~♪
そして問題の
ピアニカ・・・・・
白い巨塔の主題歌『アメ-ジングレイス』
よーく見ると
ダイチのパートは
チョー簡単!!!
3分クッキングの歌を
カスタネット
カスタネットは
全身でリズムを
とっても
ノリノリ
だいちお兄ちゃん。
去年に
比べて
大分
成長しました。
最後は
全園児による
『ポニョ』
『ふるさと』の手話
会場の皆さんも
一緒に練習して
歌い・一番を手話しました。
手話には意味があるので
意外と覚えやすかったです。
だいちの
前に居るのが
ソラのもう一人の担任 風間先生。
最近結婚して幸せ一杯なんだろうな~★
後ろに写っているのは
去年のだいち担任 宮本先生。
一番小さな子のクラス担任で
あまり会えませんが、
いつもニコニコ先生です。
久しぶりの
『ふるさと』
歌詞に読めず、懐かしかったです。
最後にプレゼント★
乃地担任 小林先生。
素晴らしい手作り衣装でした。
26人分の衣装ご苦労様です。
そらの担任の 原田先生。
髪の毛などいつも
可愛くありがたいです。
こばとらしい手作り衣装が
可愛かった♪
こんなに素晴らしい
発表会を
していただき
子供も
親も
いい思い出です。
これも
ひとえに
園長先生・全ての先生方の
温かい
御指導の
おかげです★
来年はダイチが
ソーラン・和太鼓本当に
心配・・・・・
でも
我が子と共に
親も
成長したいと思います。
きっと
来年の
発表会は
バスタオルが
必要だな~♪♪
上田城は、信濃国(現長野県上田市)に、1583年真田昌幸によって千曲川沿いの断崖に築かれた堅城で1585年、1600年と2度にわたり行なわれた、上田合戦で徳川軍を退けたことでも知られています。
関ヶ原合戦後、城は破却され、1601年昌幸の嫡男、真田信之が上田・沼田(9万5千石)で入封した。
1622年真田氏は松代に転封、替わって仙石忠政が(6万石)入封し1626年から現在見る、櫓、石垣、水堀、土塁を整備しました。
1706年仙石氏に替わり松平(藤井)氏が4万8千石で入封し、明治を迎えました。
上田城には現在3つの櫓が再移築されて現存しており、復元された本丸大手門と南櫓、北櫓が、凄く堅固な感じをかもしだしていました。
また、大手門北側の石垣に「真田石」と呼ばれる巨石がありとても印象的でした。
津城は、伊勢国(現三重県津市)に、1571年~1573年に伊勢平定の為、織田信長の弟信包が、安濃川と岩田川に挟まれた三角州上に天守を擁する城を築城した。
本能寺の変後、信包は移封、替わって冨田信広が入封し、その子信高の代に関ヶ原の合戦が勃発、
東軍に属した富田氏の津城は3万の西軍に包囲、攻撃され、天守は消失しました。
戦後、富田氏は5万石に加増され1608年宇和島に転封、替わって藤堂高虎が伊勢・伊賀22万石で入封しました。
1611年城の大改修をし、本丸の3基の三重櫓や東・西の丸を囲む内堀、二の丸、外堀を整備し、更に城下町も整備し、お伊勢参りの人々で賑わいました。
その後、藤堂氏は11代続き明治を迎えています。
見所は、やはり高虎特有の反りの無い高石垣と犬走り、丑寅櫓を模擬復元した三重櫓、などで西の丸の庭園もウォーキングに最適でした。
大和郡山城は、大和国(現奈良県大和郡山市)に、1580年信長から大和一国を与えられた筒井順慶が築城ししました。
1585年筒井氏に替わり秀吉の弟、豊臣秀長が大和・紀伊・和泉100万石で入封し、城の拡張、整備され、秀長死後、増田長盛が城主の時に完成しました。城は、三重の堀をめぐらせ、5重5階の天守がそびえる壮大な城でした。
その後、増田氏は西軍につき改易、城には定番が在城していましたが、廃城となって荒廃、大阪の陣の時に焼失しました。
1616年水野勝成が6万石で入封し城は縮小した規模で再建されました。その後、譜代大名4家が入れ替わり1724年柳沢吉里が15万1千石で入封明治まで柳沢家が城を相承しました。
現在、追手門、追手向櫓、多聞櫓が復元されており、天守台石垣の「逆さ地蔵」の石垣など、見ごたえがありました。
また。付近には金魚の養殖池が無数にあり印象的でした。
大阪城は、摂津国(現大阪府大阪市)に、1583年豊臣秀吉が石山本願寺の跡地に30国の諸大名を動員して5層8階の天守を有する総構えの日本一堅固な大城郭を築きました。
1615年、大阪夏の陣で難攻不落の大阪城も家康によりついに開城し、城と共に豊臣家も滅亡しました。
1619年2代将軍秀忠が大阪城の再建を決定し、北陸・西国の47大名家により豊臣時代を凌ぐ大城郭に整備され、幕府の西国統治の中心として幕末まで城代が置かれました。
1868年鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍は敗れ、城の大半を消失しました。
現在、復興天守がそびえ、重文の千貫櫓や多聞櫓・二の丸大手門が当時を偲ばせ、堅固な花崗岩の高石垣、枡形の蛸石と名の付いた巨石が見所でした。
今日は
ダイチの
5歳の誕生日!!
5年前の心境に・・・
@@@@@@@@@@@@@@@@@
胎動を感じるようになって
母になる実感が
沸いてきて
守らないとという
感情が起こっています。
まだ出産の不安で痛いのが怖い・・・
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
後期になって
ますます良く動く子供が
元気良くてうれしいです♪♪
我が子の顔が
早く見たいです。
元気な子が生まれますように・・・
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
12月17日の夜中3時30分ごろに破水で目がさめて
すぐに病院に電話。
6時30分~陣痛が来が、朝ごはんを食べたら
収まってしまう。
そのまま動くたびに
羊水が出てきたが、予定日よりも
早かったので、自然に陣痛が
来るのを待つことに。
こなかったら、つぎの日朝7時30分~促進剤を使う話に。
夜10時~陣痛開始!!波があったものの子宮口4cm開いていたので
18日の朝4時には9cmになりパパも病院に。
波は1分間感覚になるものの、10時になっても9.5cm左側に少し残っているみたい。
陣痛がこんのに痛いと思わなかった。
11時~破水して1日経過しているので
促進剤を使うことに。
でも全開になり分娩台へ。
けれど先生がまだと言われ、丸2日
3時間の睡眠と食事もしていなかった為
体力の限界・・・・・・・・・
睡魔が襲ってきて分娩台で横に寝ていた。
さすがに母子共に
危険になってきたので
促進剤でもう一度
5分間隔になってきたが、
自力で産めず、、だいちの頭が
骨盤に斜めにハマっていた為、
お腹を看護婦さんに押してもらい、
先生が吸引をしたが2回失敗・・・・
かん子で1回失敗して、2回目に麻酔で
切って引っ抜いて出産した感じ。。。
39週
平成15年12月18日
午後1時15分
カンシ分娩
14時間20分 出血 多量 800ml
3344g 51cm
胸囲 32.5cm 頭囲 33.5cm
無事元気な男の子誕生!!!!!
感想は、やっと終わった・・・
機械を使ったので出血が多く、1時15分出産で
6時まで分娩台で休む。
だいちの顔にもかん子の傷が。。。。。
お互い頑張りました♪♪
ダイチ母子手帳より
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山形城は、出羽国(現山形県山形市)に、1357年奥州探題斯波家兼の子羽州探題斯波兼頼が築城しました。また兼頼は、斯波氏を廃して最上氏を名乗りました。
最上氏は出羽地域に勢力を拡げて11代義光の時代に戦国大名として山形城の整備・拡張を行い近世城郭にしました。
関ヶ原では、東軍に味方して伊達政宗と共に上杉景勝と戦い、その功績で24万石から57万石の大大名になり、庄内地域も領しました。
1622年最上氏は、義俊の代にお家騒動で改易、鳥居忠政が20万石で入封後、城主は次々替わり12氏にも及び水野氏5万石の時代に明治を迎えています。
現在、二の丸を中心に復元整備されており、二の丸東大手門に波多聞櫓、続多聞櫓が連結した枡形門は威容で豪壮でした。また、大雪が降っており、最上義光の銅像が真っ白でした。
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小田原城は、相模国(現神奈川県小田原市)に、中世、土肥遠平、大森頼春によって築城されました。
1495年、堀越公方から伊豆の支配権を得た伊勢新九郎(北条早雲)が、大森氏より小田原城を奪い、相模の豪族三浦氏を滅ぼして伊豆・相模を平定しました。
北条氏はその後、氏綱、氏康と続き小田原城は、城下町も一体となった城郭都市となりその周囲は20キロメートルにも及ぶ壮大な規模の大城郭に整備されました。
1561年の上杉謙信、1569年の武田信玄との戦いも小田原籠城で退けました。
更に、氏政、氏直と続き両国も伊豆・相模・上野・下野・下総・など関東1円に及び、250万石を超える大大名に成長しました。
1590年、豊臣秀吉による小田原攻めで北条氏は遂に降伏、替わって入封した徳川家康により外郭部を破却され譜代大名が城主を歴任し、1686年大久保忠朝が11万3千石で入封して明治まで続きました。
現在3層4階の復元天守がそびえ立ち、銅門、常盤木門などの枡形門も復元されていました。
また、天守からの相模湾の眺めは最高でした。
小諸城は、信濃国(現長野県小諸市)に、1487年佐久地方の土豪、大井光忠が築いたのが始まりとされ、その後1554年に武田信玄の命により、山本勘助らが縄張りをして戦国城郭として完成しました。
武田家滅亡後、織田・北条・徳川氏の支配を経て1590年仙石秀久が5万石で入封、城の大改修を行い3層の天守、大手門、子の忠政も三之門などを整備し近世城郭としました。
1622年仙石氏は転封、譜代大名が次々入れ替わり1702年牧野康重が1万5千石で入封、明治まで牧野氏が居城しました。
城跡は現在公園(懐古園)として残っており、入り口の、三之門、野面積みの苔むした石垣、天守台、
線路を挟んだ市内には、大手門も現存していました。
また、小諸城は、全国的にも珍しい、城下町より、城の方が低いところに建つ「穴城」で浅間山の火山灰の積もる崩れやすい断崖を天然の要害とした堅城でした。
名古屋城は、尾張国(現愛知県名古屋市)に、室町時代には、那古野城と呼ばれ、駿河守護今川氏によって築かれました。
1538年、織田信秀によって那古野城は攻略され、子の織田信長も城主を務めました。
その後、尾張の拠点は、清洲城に移り、1582年頃に廃城になりました。
1610年、徳川家康は大阪の豊臣秀頼を牽制する為に、9男義直を尾張1国50万3千石に封じて那古野城の跡地に外様大名20家による天下普請で1614年に完成し、5層7階地下1階の大天守に連結式の小天守、清洲城天守移築の3層の清洲櫓、12基の2重櫓、多数の多門櫓を有する大城郭として徳川御三家・尾張家の居城として明治まで続きました。
名古屋城といえば「金鯱」で金の純度は、85%以上、使われた金は慶長小判で1万7975両にも及び純金換算で215キロになります。(いくらになるんだ~。)
ps.天守閣内に模型があり、そらも喜んでいました。
金沢城は、加賀国(現石川県金沢市)に、1581年、佐久間盛政が、一向宗の城郭寺院、尾山御坊跡地に築城しました。
柴田勝家との戦いに勝利した秀吉は、前田利家に北加賀2郡を加増して能登小丸山城から尾山城に居城を移し金沢城と名を改めました。
1587年、利家に仕えた、キリシタン大名、高山右近の縄張りによって改修、整備されました。
利家死後も、利長、利常と城郭を改修し、能登・加賀・越中120万石の大大名にふさわしく、とても優美な城になりました。
現在、重文の石川門や三十間長屋が現存しており、なまこ壁や千鳥破風、唐破風などが優美な印象を出していました。また、五十間長屋、菱櫓、橋詰門などが復元されており、とても壮大でした。
和歌山城は、紀伊国(現和歌山県和歌山市)に、1585年秀吉の弟、豊臣秀長が紀伊・和泉・大和を領して、藤堂高虎の普請により築城されました。
1600年、関ヶ原で戦功を上げた浅野幸長が37万6千石で入封、近世城郭へと改修しました。
1619年、浅野氏は、広島に転封、替わって徳川家康の10男、徳川頼宣が、55万5千石で入封、幕府より普請費用に銀2千貫を供与されて、1621年、1629年に拡張整備してほぼ、現在見られる姿になりました。
徳川御三家の一つ紀州家として8代将軍吉宗や、14代将軍家茂を輩出しました。
現在、3層3階の大天守に小天守、乾櫓、二の門櫓、二の門が多聞櫓で結ばれた連立式天守が外観復元され江戸時代の勇姿を見せており、現存する重文の岡口門も堂々としていい趣でした。
また、西の丸には、紅葉渓庭園と呼ばれる回遊式池泉庭園があり、中島越しに見る、土橋と、斜面の築山の樹木がとても綺麗で癒されました。
飫肥城は、日向国(現宮崎県日南市)に、室町時代、島津氏の支城として酒谷川と東北の山川に挟まれた丘陵地に築かれていました。
1568年、伊東義祐が83年間の島津氏との抗争の末、飫肥城を落とし、2男祐兵を城主としました。
1572年、島津氏の逆襲に逢い伊東氏は弱体化し、1577年島津氏の支配下に属しました。
1587年、秀吉の九州平定後、伊東祐兵が城主に返り咲き、城を改修しました。
1600年、関ヶ原で東軍に属した伊東氏は、3万5千石の旧領を家康より安堵され、明治まで伊東氏
14代の居城として機能しました。
現在、堂々とした櫓門形式の大手門や、美しい切込みはぎの大手枡形石垣などが復元整備されており、周辺に残る、武家屋敷、豫章館、藩校振徳堂など江戸時代の景観が数多く遺されていました。