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水戸城は、(常陸国)現茨城県水戸市に、1190~1198年に、馬場氏によって築城されたのが始まりとされ、当時は、馬場城と呼ばれていました。
1590年、秀吉より常陸一国(54万石)で入封した、佐竹義重・義宣、親子により、改修整備され名称も水戸城と改められました。
1602年、佐竹氏は出羽に移封、替わって家康の五男、武田信吉が15万石で入封しましたが翌年没し、十男の徳川頼宣が20万石で入封しました。
1609年、頼宣は、駿河に移封し、十一男の徳川頼房が25万石で入封し、以降明治まで、徳川御三家、水戸家として明治まで存続しました。
城は、連郭式の平山城で天守は無く、三重五階の御三階櫓が、天守代用としてあり、土塁と空堀を中心とした、政庁中心の城でした。
現在、県立水戸一高に移築された薬医門、三の丸に藩校の弘道館が現存し国の重文に指定されており、藩校としては日本最大で当時の学問に対する重要性が窺えました。
また、三の丸付近にあった、大きな椎の木が印象的でした。
土浦城は、(常陸国)現茨城県土浦市に、1429~1441年に小田氏の家臣、今泉三郎によって整備され、1590年家康の関東移封に伴い、二男、結城秀康の所領となりました。
関ヶ原後、秀康は越前に移封し、以後、松平(藤井)氏3万5千石・西尾氏2万石・朽木氏3万石・土屋氏4万5千石・松平(大河内)氏2万2千石と譜代大名が入れ替わり、1687年、土屋氏が6万5千石で再封され明治まで在城しました。
城は、桜川や境川、霞ヶ浦の水を利用し、五重の堀を巡らした堅固なもので、その姿が水に浮かぶ亀に似ていることから亀城とも呼ばれています。
現在、本丸、二の丸の一部が亀城公園として整備されており、1556年建築の太鼓門櫓が現存(関東唯一の楼門形式の櫓門)・高麗門・霞門も移築され、近年西櫓・東櫓も復元され、江戸時代の姿を取り戻しており、それぞれ見所でした。
佐倉城は、(下総国)現千葉県佐倉市に、1610年、土井利勝が3万2千石で入封し、下総の豪族、千葉氏の未完の城、鹿島城跡を利用して7年の歳月をかけて築城されました。
その後、江戸東北防衛の要として重要視された為、城主はめまぐるしく替わり、その数は12諸侯にもなり、その多くが老中職に就いていたことから俗に老中の城とも呼ばれ、1746年、堀田氏が10万石で入封して明治まで在城しました。
城は、北に印旛沼や利根川があり、他の三方向も低湿地帯という自然の要害を持ち、更に大規模な塁濠を配した堅城で、本丸には、3重4階の天守に2基の櫓があり、その1つ、銅櫓は、家康より拝領し、江戸城から移築したものと伝えられています。
見所は、椎木曲輪にある、大きな角馬出で深さ規模共に見応えがあり、他にも、天守台、銅櫓跡の土居や本丸北側と南側にある、出丸と水堀も良く残っており、旧状を偲ぶことが出来ました。
高岡城は、(越中国)現富山県高岡市に、1609年、加賀二代藩主、前田利長が隠居城としていた富山城が、大火で焼失した為、当時前田家に客将としていた、築城の名手、高山右近の縄張りによって、庄川と小矢部川の扇状地にある丘陵に築かれました。
その後、利長は避難していた魚津城から高岡に隠居領16万石で入場し、城下町も整備し、6年後の1614年に没し、城は翌年の一国一城令によって未完成のまま廃城になりましたが、高岡町奉行所の管理下で米蔵などの備蓄庫として使用され、曲輪や濠などは残され、軍事的要素も秘めていました。
現在、城址には、5つの曲輪や伏流水を利用した城域の3割を占める水濠が巡らされており、本丸と二の丸の間の土橋には、打込ハギの乱積みの石垣も良好に残っており、見所で、本丸が広大なのも印象的でした。
桜もすっかり、新芽になんとなく寂しいですが・・・
我が家には1年中桜の花が咲いています。
かれこれ7年位前になるかな??
北野武さんのように、お笑いのイメージが強く監督として
罵声を浴びることが多かったので、ジミーちゃんは故岡本太郎さんから才能を
認めていただいて、芸能界を引退して画家の道に進んだそうです。
ジミーちゃんのデビュー作で動物などの絵が多い中、
地元大阪の絵は珍しい1枚と聞き、凄く悩んだ挙句購入を決意しました。
大阪城&造幣局
本物の大阪城を見た時は、感動しました。
額の部分までが絵の一部だそうです。
色とりどりで細かい部分まで色の出し方が違いとっても癒されて、
購入して良かったと今では思っています。
子供達の脳裏にも知らず知らずに焼きついているのでは
ないかな~と思っています。
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富山城は、(越中国)現富山県富山市に、1543年、越中守護代神保長職によって築城されました。
1581年、佐々成政が越中半国38万石で入城し、上杉氏に備える為、大規模な改修を加えましたが、1585年、成政は、本能寺後、不仲になっていた秀吉に攻められて降伏し、替わって前田利長が32万石で入城し改修しました。
1609年、富山城は大火で焼失、利長は高岡に居城を移した為、城は荒廃しました。
1639年、加賀藩三代藩主、前田利常は、次男利次に10万石を分封し、富山藩が成立し、荒廃した城を整備し、以降、富山前田家十三代の居城として明治まで至りました。
現在城址には、昭和29年の富山産業大博覧会の時に建てられた、戦後初の3層4階の模擬天守が建ち、国の登録有形文化財に指定されています。
また、1849年建築の千歳御門が城内に再移築されており、石垣や濠と共に見所でした。
大井俣窪八幡神社は、山梨県山梨市にあり、859年に清和天皇の勅願により宇佐八幡を勧請して以来一千年を越す歴史を有し、御祭神は、中殿に応神天皇、北殿に仲哀天皇、南殿に神功皇后が祀られています。
また、本殿 ・拝殿附鰐口・摂社若宮八幡神社本殿・摂社若宮八幡神社拝殿・末社高良神社本殿・末社武内大神本殿・末社比咩三神本殿・ 神門附石橋・鳥居の9棟が国の重文に指定されており、重文の宝庫ともいえます。
見所は、1540年建立で、日本最古の木造鳥居と1542年建立の神門(四脚門・切妻造・檜皮葺)更に本殿、拝殿などで、本殿は、1519年の建立と伝わり、形式は十一間社流造・檜皮葺で、三間社流造の三社が間に1間をおき、それぞれ横に連結して11間の形となる物で、拝殿は、桁行11間、梁間3間、切妻造、檜皮葺きで、右手にある、県文の鐘楼と共に、とてもいい趣でした。
北口本宮富士浅間神社の大杉は、山梨県富士吉田市にある、北口本宮富士浅間神社の境内にあり、
本殿前の両脇に2本立っており、県の天然記念物に指定されています。
杉は、富士太郎杉とも呼ばれ、樹齢約1000年、大きいほうは、樹高45m、根廻り23.6m、目通り9.7m、小さいほうは、樹高30m、根廻り21m、目通り8.2m枝張り、東西12.8m、南北14.7mあり、まさに巨木で、御神木にふさわしく、社殿全体を包み込む堂々とした名木でした。
また、浅間神社は、788年創建され、主祭神に木花開耶姫命を祀り、1615年谷村藩主鳥居氏によって再建されたされた本殿、1561年信玄によって再建された東宮本殿、1594年建立の西宮本殿の三棟が国の重文に指定されており、朱に塗られた、一間社流造で桃山様式の優美な造りで、こちらも見所でした。
チェックシャツ×プリーツスカート
Tシャツ×topic luxeベスト×ティアードスカート
SABUROKUボーダードルマンスリーブカットソー×デニムショートパンツ
Tシャツ×ダルメシアンシフォンティアードワンピース(右)
ホルターキャミソール×カーディガン×ショートパンツ(左)
ポロシャツ×デニムミニスカート
SABUROKUカーディガン×bianca mariaワンピース×帽子
シャツ×スカート
Tシャツ×チェック柄シフォンワンピース
キッズ:F.O.KIDSドクロ柄Tシャツ×F.O.KIDSカーゴパンツ(右)×Bit'zケンケンコラボシューズ
Bit'zTシャツ×Bit'zパンツ付きスカート(左)×Bit'zケンケンコラボショーズ
五箇山相倉合掌集落は、富山県南砺市にあり、現在合掌造りの建物が、民家、寺、道場、小屋を合わせて24棟あり、そのうち11棟の民家は現在も生活を営んでいます。
また、ユネスコの世界文化遺産に登録されており、白川郷の萩町集落・同じ五箇山の菅沼集落と共に重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
個人的には、中学の時に合唱コンクールで歌った、民謡、麦やのもんや爺さんのイメージが強くあります。
見所は、奇跡的に残る古きよき田園風景と建物群で、豪雪地帯のため、急勾配になった切妻屋根、壁面には土壁は使われず柱と柱の間は板壁を落とし板にしてはめ込んだ板壁が珍しく、段丘に造らた、水田・畑・石垣と共にとてもいい風情で見所でした。
5月21日。
去年本当は行く予定だったのに、雨で中止・・・
今年は天気も曇ってはいましたが、暑すぎずいい感じの陽気。
バスにて多摩テックへ
多摩テックのキャラクターみんなむらがっていました。
ちょっと中の人お気の毒。。。
早速、沢山乗り物に
子供にはちょうどいい感じの乗り物が本当に
喜んでいました★★
自分で運転できる感じの乗り物もあり、だいちは
楽しんでいました。
そらはなんか暑くて熱がありました・・・
でも楽しいみたいで、乗り物に乗りたくて怒っていました。
そして、こんなカードを作りました。
いい思い出に!!
そんな、多摩テックも9月30日で終わりなので残念・・・
きっと2人にも焼きついてることでしょう。
神戸北野異人館は、兵庫県神戸市にあり、南向きの日当たりのいい海を見渡せる高台に、地代も安かった為、沢山の外国人が住居を構え、全盛期には、200件を超える洋館が建っていましたが、老朽・災害などで減り、現在、うろこの家・風見鶏の館(重文)・萌黄の館(重文)・山手八番館・英国・仏蘭西・オランダ館・ベンの家など、約30軒のレトロで瀟洒な洋館が立並び 異国情緒を醸し出しています。
お気に入りは、うろこの家(登録文化財)で神戸で最初に公開された異人館で、外国人向けの高級借家として建てられ、外壁が魚のうろこに見えることから、愛称でうろこの家と呼ばれており、西洋風の庭、置物、洋館内からの神戸港の景色など見どころ満載でした。
大浦・浦上天主堂は、長崎県長崎市にあり、共にキリスト教(カトリック)の教会で鎖国解除後に建てられた物で、戦災にあいましたが、現在は、修理復元され観光名所になっています。
大浦天主堂は、1864年にフランス人宣教師による設計で天草の大工によって建てられた、ゴシック風の建築で、洋風建築としては、唯一の国宝に指定されています。
見所は、色とりどりのステンドガラスや木造の建物に机・椅子で、それぞれ使い込まれてなんともいえない色になっており、素朴な外観とのギャップも見所でした。
浦上天主堂は、1895年から20年の歳月をかけて建てられましたが、原爆により破壊され、現在の建物は、1959年に再建されたもので、実に堂々とした重厚な建物で、煉瓦造りの外壁や、被爆したマリア像などを見ていると、爆弾の威力のすさまじさが感じられ、考え深いものがありました。
JK×topic luxeアクセサリー×topic luxeTシャツ×ベルト×デニムSK(右)
topic luxeホルターTシャツ×topic luxeパンツ×ベルト(左)
topic luxeストール付きベスト×topic luxeフラッグTシャツ×topic luxeパンツ
SABUROKUカットソー×URBAN NOWデニムパンツ×bianca mariaチュニック×ハット×odemari*ネックレス
F.O.KIDSリバーシブルタンク×F.O.KIDSカーゴパンツ(右)
F.O.KIDSデニムワンピース×F.O.KIDSキャミソール(中)
F.O.KIDSホルターTシャツ×Bit'zデミムパンツ(左)
F.O.KIDSドクロTシャツ×F.O.KIDSマリンパンツ
Tシャツ×スカート×麦わら帽子
charmチェック柄ワンピース×topic luxeラメ入りパーカー×ハット
bianca mariaボーダーパーカー×サロペット×ネックレス
キャミ付きカットソーセット×デニムSK×麦わら帽子
函館ハリストス・元町教会は、北海道函館市にあり、辺りの元町、末広町には、古い町並みや文化財が数多く残っており重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
ハリストス正教会は、1916年に再建された復活聖堂が重文に指定されており、ロシアの影響を受けた、ビザンティン建築様式での煉瓦造一部3階建てで、白漆喰を塗った外壁や、石造りの基礎など見所でした。
カトリック元町教会は、1876年創建で、2度の焼失後、1924年に焼け残った煉瓦造りの外壁元に補修して再建された折、高さ33mの大鐘楼を増築したもので、六角屋根の上にある、大きな風見鶏が印象的で、中は見れませんでしたが充分雰囲気のある教会でした。
また付近には、1910年に清朝時代の伝統工法によって設計された、函館中華会館(登録有形文化財)や金森倉庫群などの、赤煉瓦の建物が数多くあり、長い年月風雪を耐えた、味のある外壁がとてもいい感じでした。
門司港駅は、福岡県北九州市門司区にあり、1891年に九州の鉄道(鹿児島本線)の起点として開設され、現在の駅舎は、1914年に建てられた2代目で、日本で唯一駅舎として、国の重要文化財に指定されています。
駅舎は、ドイツ人技師の監修によって、ネオ・ルネッサンス様式と呼ばれる左右対称の建築様式で建てられ、大きい門にも見える外観デザインが特徴的で、内部のペンキを塗った板張りの壁や扉、トイレの備品、消防車など、ノスタルジックな感じがとてもいい趣でした。
また、付近は門司レトロと呼ばれ、1917年建築の旧大阪商船(登録有形文化財)や、1921年建築の旧門司三井倶楽部(重文・移築)などがあり、こちらも、とても楽しめました。