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和大好きパパ アーカイブ

2008年11月07日

猿橋

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大月市の猿橋に行って来ました。実は山梨に住んでいますが、初めて行って来ました。
猿橋は岩国の錦帯橋、木曾の浅橋と共に日本三大奇矯と言われています。何が奇矯かと言うと橋脚を使わない珍しい肘木けた式橋で、長さ31メートル、幅55.5メートル、谷が31メートルと、とても深く橋脚を建てられない為、両岸から4層にせり出した、はね木を設け、それを支点として木のけたを掛け渡しているからです。
そらも、紅葉し始めた景色を見ながら、橋を渡っていました~。

2008年11月21日

旧因州池田家屋敷表門

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上野公園にある旧因州池田家屋敷表門を見て来ました。
旧因州池田家上屋敷表門は、通称、上野の黒門と呼ばれ、因幡、ほうき、32万石の国持ち大名鳥取池田家の江戸上屋敷表門で、屋根は、入母屋造、門の左右に向唐破風造の番所を備えており、大名屋敷として最も格式が高く堂々とした門でした。

2009年02月06日

旧小関家武家屋敷

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旧小関家武家屋敷は、宮城県白石市にあり、仙台藩家老片倉家家中で中級武士の屋敷で白石城の北の後小路と呼ばれる町並みの中にあります。
主屋は、前面と側面を沢端川に囲まれた地に橋を架けて板葺きの簡素な門と土塀の先にあり、大きさは、桁行七間半・梁行四間で棟札から1730年に建てられました。
間取りは、土間(台所)・茶の間(板敷きの囲炉裏の間)・中間(正座敷。客間)・納戸になっており当時の生活ぶりが窺えました。
また、門の脇には五葉松の盆栽が沢山培養されていてこちらも楽しめました。

2009年02月07日

瑞鳳殿

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瑞鳳殿は、宮城県仙台市にあり、「独眼竜正宗」の異名で知られる仙台藩62万石藩祖、伊達政宗の霊廟です。
本殿は、2代忠宗によって正宗遺言の地に桃山建築の遺風を伝える豪華絢爛な造りで1637年に建立され、昭和6年には国宝に指定されましたが、1945年戦災によって消失しました。
現在の建物は、昭和54年に再建されたもので、近くには2代忠宗の霊廟・感仙殿、3代綱宗の霊廟・善応殿が同じ桃山様式で建てられており、雪化粧の木々と重なってとても優美でした。

2009年02月09日

加賀藩前田家上屋敷御守殿門

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加賀藩前田家上屋敷御守殿門(東大赤門)は、東京都文京区にあり、1827年、13代加賀藩主前田斉泰に11代将軍家斉の娘、溶姫が嫁入りした際に建てられました。
(三位以上の大名が将軍家から妻を迎える際、朱塗りの門を建てる習慣があった為、姫が暮らす御守殿(御主殿)前に建てられました。)
また、この朱塗りの門は、消失などの後、再建を許されなかった為、当時の原形を留める唯一の門として国の重文に指定されています。
御守門は切妻造りの薬医門で左右に唐破風の番所が付いており、とても優美で加賀藩の権威の高さが窺えました。

2009年03月05日

好文亭

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好文亭は、茨城県水戸市(偕楽園)にあり、水戸藩9代藩主、徳川斉昭によって創設されましたが戦災で焼失、1955年から3年かけて復元整備されました。
好文亭は、2層3階の好文亭と奥御殿からなり、名前は梅の別名、好文木に由来しています。
奥御殿は、菊の間・桃の間・つつじの間・桜の間・萩の間・紅葉の間・松の間・竹の間・梅の間・清の間の10室があり、それぞれの襖絵がとても綺麗で和めました。
また、好文亭3階の楽寿楼からの千波湖の借景が見事でした。

2009年03月17日

甲州街道小原宿本陣

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甲州街道小原宿本陣(旧清水家)は、神奈川県相模原市にあり、先祖は、後北条氏に仕えた家柄で江戸時代は本陣・庄屋などを勤めていました。
現在の主屋は、江戸時代後期の建築で大きさは、桁行13間、梁間7間で屋根は、入母屋(カブト)造で銅板葺きになっていました。
間取りは、大戸口を入ると土間があり、その奥に住居部の、囲炉裏のある板の間、広間・茶の間・納戸があり、土間の左手に本陣部分の、玄関の間・控の間・中の間・上段の間などの部屋があり、雛人形や、大名篭、農機具(2F)などが展示されており当時の様子が窺えました。
また、屋敷の上手側には、斜面を利用した観賞式庭園があり、大名や公家・役人が宿泊の際に眺めたんだろう~と想像しながら物思いに更けいりました。
近くには、駐車場を兼ねる、小原の郷と言う歴史資料館があり、こちらも楽しめました。

2009年03月18日

甲州街道日野宿本陣

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甲州街道日野宿本陣(旧佐藤家)は、東京都日野市にあり、1849年の大火で焼失しましたが、佐藤彦五郎が10年の歳月をかけて現在の建物を再建し、江戸時代の、本陣・名主の住居建築として現在、市の文化財に指定されています。
主屋は、切妻瓦葺で、入母屋の式台玄関があり格式の高さが窺えました。
間取りは、土間・広間・玄関の間・控えの間・勝手・茶の間・仏間・納戸・上段の間で構成されており南側の縁側からの庭園も見所でした。
また、天然理心流に入門した彦五郎は、屋敷の東側に佐藤道場を開設し、この道場に、新撰組の近藤勇・土方歳三・沖田総司などが出稽古をしていた所としても知られています。
ps、だいちが隠れています。どこでしょう?

2009年03月19日

佐倉順天堂記念館

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佐倉順天堂記念館は、千葉県佐倉市にあり、佐倉藩主、堀田正睦の招きを受けた、蘭医、佐藤泰然が1843年に開校した蘭医学の塾兼診療所で、現在残る建物は、1858年の建築で、内部には顕微鏡・手術道具・などが展示されており、当時の手術風景の掛軸などから、近代医学のさきがけであった事が窺えました。
現在の順天堂大学は、泰然の養子佐藤尚中が開設したものです。
また、同じ成田街道沿いには、登録有形文化財の三谷家住宅があり、出桁造の主屋・袖蔵・座敷屋などが現存しており、道沿いからの朱色のたたずまいが、とてもいい趣でした。

2009年03月30日

岩殿山郷土資料館

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岩殿山は、山梨県大月市にあり、戦国時代、武田氏に従属した、郡内領主・小山田氏の居城、岩殿城を築いた、標高636メートルの、独立峰で、四方を桂川などの、川や崖に囲まれた、天然の要害でした。
山の中腹には、櫓建築の資料館があり、写真展や小山田氏の資料の展示、プラネタリウムjなどがあり登山途中にいい休憩になりました。
また、3の丸からの、桂川流域の眺めが、とても綺麗でした。

2009年04月05日

川越時の鐘

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川越時の鐘は、埼玉県川越市にあり、1624~1644年の間に、川越城主、酒井忠勝が、江戸に習い、時を告げるシンボルとして創建したのが、始まりとされています。
現在の鐘楼は1893年の川越大火の翌年に再建されたもので、市の文化財に指定されています。
3層構造の鐘楼は、高さ16メートルで、現在でも一日4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)時を知らせています。
また、付近には、多数の蔵造りの商家が建ち並んでいて、とてもいい風情でした。

2009年04月06日

高山陣屋

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高山陣屋は、岐阜県高山市にあり、飛騨高山藩主であった金森氏の下屋敷でしたが、1692年に飛騨国は、幕府の直轄地になった為、以後代官所として使用され、1777年以降は郡代役所となり、維新後は、高山県庁舎として使用されました。
現在の主屋は、1816年に改築されたもので、日本に唯一残る、郡代所として、とても貴重なものです。
印象的だったのが、屋根全体が板葺きになっていたことと、大きな米蔵で、大きさから相当量の米が運び込まれていたのが解り、見所でした。
また付近には、三町・下二之町大新町と伝統的建造物群保存地区があり、出格子の連なる風情や造り酒屋の杉玉、軒下を流れる用水の音が、とてもいい心地でした。

2009年05月10日

市川陣屋

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市川陣屋は、山梨県市川三郷町にあり、河内領を支配するため1765年に駿府の出張陣屋として設置された代官所で、1795年以降は本陣屋として機能し、当時は代官の居間などもある堂々とした建物でしたが、現在は陣屋門のみとなっており、門内側の松の大木がいい雰囲気を出していました。
また、近くの歌舞伎文化公園には、天守閣を模した立派な建物や、信玄の異母兄弟、一条信竜が築いた上野塁城跡が残っておりこちらも見所でした。

2009年05月14日

佐倉武家屋敷

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佐倉武家屋敷は、千葉県佐倉市にあり、旧河原家住宅(県指定有形文化財)・旧但馬家住宅(市指定有形文化財)・旧武居家住宅の3棟が修理・移築整備されています。
3棟の武家屋敷は、それそれ、石高が異なるため、造りもそれぞれ違い、当時の武家階級の違いや生活ぶりを偲ぶことが出来ます。(旧河原家350石・旧但馬家150石・旧武居家90石)
また、それぞれの屋敷は、土塁と生垣によって区分けされており、それぞれの屋敷に、菜園があるのが印象的でした。

2009年05月18日

北国街道海野宿

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北国街道海野宿は、長野県東御市にあり、1625年に幕府によって北国街道の宿場として開設されました。
中山道と北陸道を結び、北陸諸大名の参勤や佐渡の金の輸送、善光寺参りなどに使われ、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠23軒、伝馬屋敷59軒を連ねる、大変賑わった宿場でした。
現在、宿場の町並みは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、出桁造りの旅籠屋や、色々な形の卯建が付いた建物、格子戸の町並みが軒を連ねており、当時の姿を偲ぶことができ、とてもいい風情でした。

2009年06月07日

東茶屋街

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東茶屋街は、石川県金沢市にあり、金沢百万石の城下町として江戸・大阪・京都に次ぐ大都市で、1820年に加賀藩によって、旧来の不整形な町割をあらため、犀川西側の西茶屋街、浅野川東の東茶屋街、、主計町茶屋街など、整形な街区が形成され、現在江戸時代から明治初期の茶屋建築が多く遺されており、伝統的建造物群保存地区に指定されています。
東山ひがし(東茶屋街)は、茶屋の風情を現在最もとどめている街の1つで、石畳の街路に面して、一階に出格子、二階の建ちを高くして二階に座敷を置く茶屋町らしい町家が連なり、灯篭や、暖簾、など茶屋町の風情がとてもいい景観でした。
ps.だいちとそらもカキ氷を食べて雰囲気を満喫していました。

2009年06月08日

道後温泉本館

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道後温泉本館は、愛媛県松山市にあり、明治27年に共同浴場として建てられた、三層階の現代和風建築で、国の重要文化財に指定されています。
建物は、1階に神の湯、2階に霊の湯があり、楼閣部分に振鷺閣(しんろかく)と呼ばれる太鼓(刻太鼓)を鳴らす突き上げ部分があり、周囲の窓は赤いギヤマンをはめた障子で赤く光っていて、銅版葺き部分の屋根や外観の木彫とともに優美で見所でした。
また、又新殿(ゆうしんでん) と呼ばれる日本で唯一の皇室専用浴室や、夏目漱石ゆかりの資料の置かれた坊つちやんの間 などもあり、こちらも見所でした。

 

2009年06月16日

吉野ヶ里遺跡

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吉野ヶ里遺跡は、佐賀県吉野ヶ里町にあり、日本最大の弥生時代の集落跡で、物見櫓、内濠、外濠などの城郭遺構がある為、日本100名城に指定されています。
見所は、竪穴住居、高床住居などの住居や食料を保管する高床式倉庫、貯蔵穴の跡などで、当時の生活が垣間見れ、神殿跡などもあり、当時から信仰するものがあったんだなあ~とおもい、邪馬台国伝説などの歴史ロマンを感じました。

2009年09月04日

中山道妻籠宿

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中山道妻籠宿は、長野県南木曽町にあり、江戸時代からの宿場町の風情を現在に残し、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
見所は、復元された本陣(島崎家)や1877年建築・重文の脇本陣奥谷(林家)、禁制や法度の書かれた高札場、枡形などで、特に脇本陣は木曽桧をふんだんに使って造られた重厚な建物で当時の財力が伺えて印象的でした。
また、島崎藤村ゆかりの家や場所が多く、当時の生活を想像しながら、こちらも楽しめました。

2009年09月05日

中山道馬籠宿

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中山道馬籠宿は、岐阜県中津川市にあり、斜面に開けた全長600mの宿場で、当時の建物は大火により失われましたが現在復元されており、良好に残る石畳や枡形、藤村記念館、水車に水路、一里塚など昔を偲ばせています。
見所は、やはり、藤村の生家でもある本陣跡や、高低差の中にある旅籠の風情で、脇を流れる水の音と歴史、文学など見所満載でとても和めました。

2009年09月08日

沼津御用邸(西附属邸)

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沼津御用邸(西附属邸)は、静岡県沼津市にあり、昭和天皇と秩父宮様のご養育に当たった川村純義伯爵の別荘として建てられたものを1905年に宮内省が買い上げ増築整備されたもので、皇孫殿下御用邸として機能し、戦災後(本邸焼失後)は昭和44年まで多くの皇族の利用されました。
見所は、当時のままのゆがんだ木枠のガラス窓やタングステンの白熱灯や釘隠し、格子の欄間に玉座のある謁見所、西庭(駿河湾を借景にした築山と景石のの苔庭)を見渡せる御座所などで、吊り金具やストーブ、ビリヤード室など洋風なものがあるのも見所でした。

2009年09月09日

沼津御用邸(東附属邸・翠松亭)

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沼津御用邸東附属邸は、静岡県沼津市にあり、1903年に赤坂離宮東宮大夫官舎を移築したもので、皇孫殿下の後学問所として使用されました。
また、附属邸苑内には駿河待庵と名のついた、京都大山崎の国宝「待庵」(千利休作)を写した茶室があり、飛び石や白砂・苔、植栽と附属邸との景観がなんともイイ感じでした。

2009年09月16日

泉の館

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泉の館は、静岡県清水町にあり、名水で有名な柿田川公園脇に築80年の蔵、主屋、長屋門が、蕎麦屋や抹茶・豆腐をいただける食事所として公開されています。
主屋は、式台を設けた重厚な造りで屋敷前に造られた池泉庭を眺めながら、奥の湧水のせせらぎが聞こえてなんともいい心地で、蕎麦や豆腐アイスを食べながらとても和めました。

2009年10月22日

掛川城御殿

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掛川城御殿は、静岡県掛川市にあり、1861年に当時の掛川藩主、太田資功によって再建されたもので、城郭御殿としては、川越城、二条城、高知城を含め4ヶ所しかなく、当時の大名の生活を伺う上で貴重な遺構として重文に登録されています。
明治維新後は廃城と同時に勤番所、徳川家兵学校に転用され、廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学校として使われ、その後も役場や農協、消防署として機能しました。
現在、7棟からなる御殿内部が公開されており、書院造りの趣きある上の間や、太鼓櫓から持ち込まれた大太鼓、長囲炉裏の間の天井中央にある太田家の家紋(桔梗と替紋の違いかぶら矢)の彫り板がなんとも良い感じでした。

2009年10月27日

中山道大井宿本陣

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中山道大井宿本陣は、岐阜県恵那市大井町にあり、江戸から数えて46番目の宿場で、当時は本陣・脇本陣各1軒、旅籠41軒と美濃路で一番賑わっていたといわれています。
現在本陣は、火災により正門と樹齢300年を越す黒松が残るのみですが、近くのひし屋資料館や6っもある枡形、高札所など見所満載でした。

2009年11月17日

絵島囲み屋敷

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絵島囲み屋敷は、長野県伊那市高遠町にある歴史博物館ないにあり、1414年に起こった絵島・生島事件(6代将軍家宣の命日に月光院の代わりに墓参した帰りに芝居見物し問題とされた事件)によって、時の老中秋元但馬守によって死罪となるものの、月光院の口利きによって高遠に遠流になり、1741年に61歳で亡くなるまでの28年間幽閉生活を送りました。
絵島は32歳で当時幕府の大奥にいた数百人の女中のうちの上役年寄7人の主席、大年寄として、権力を持っていましたが、流刑の地である高遠で見張りに囲まれ過ごした部屋は、わずか8畳1間であり、ここで過ごした日々は、さぞ大変であったろう~~と思い、当時の生活ぶりを偲びました。
また、屋敷は板塀でまさに囲まれており鋭く尖った忍び返しなど、物々しく監視の厳重さと垣間見る高遠湖・山々の紅葉を見ながら、絵島も見たものと思いしばらく見入りました。

2009年11月23日

進徳館

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進徳館は、長野県伊那市高遠町にあり、1860年に高遠藩主・内藤頼直によって、城内三の丸にあった家老の空屋敷を改造して開設された藩校で、文学・武学を中心に学ぶ学問所で、1871年に廃止になるまで約500人の藩士や生徒が学びました。
卒業生には、日本の近代教育の基礎を築いた伊沢修二(東京芸大初代校長)など功績を遺す人も輩出しました。
現在建物は公開されており、当時の書籍や器具が展示されており、聖廟に祀られた孔子ほか四聖人の坐像も厳かで、厳粛な感じでした。
また、植栽も時代感が出ており、建物と共に見応えがあり、楽しめました。

2010年01月27日

三州街道小野宿

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三州街道小野宿は、長野県塩尻市と辰野町にまたがってあり、昔から松本藩と飯田藩の領地争いの場の為、現在も筑摩郡と伊那郡に分かれ、初期中山道・三州街道(伊那街道)の宿場として栄え、三棟の本棟造りの建物や武家屋敷、高札場などが残っています。
中でも旧小野家住宅(1859年建築、桁行き8間半、梁間10間半)は小野宿の問屋と名主を勤めた名家で町の文化財に指定されており、桁が大きく張り出した本棟造りの屋根の妻にある烏脅し(雀踊り)と真下の懸魚の彫刻、細く長い格子に重厚な薬医門が良い趣でした。

2010年01月30日

湯島聖堂

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湯島聖堂は、東京都文京区湯島にあり、もともと林羅山が上野忍岡の屋敷地で営んだ儒学の私塾が始まりとされ、1690年に五代将軍徳川綱吉によって当地に移され江戸幕府直轄の教学機関として機能し、日本の学校教育の発祥の地として国の史跡に指定されています。
また、当地には昌平坂学問所(現在の筑波大学、お茶の水女子大学の前身)も設立され、明治4年に閉鎖されると跡地は、日本最初の博物館(国立博物館)や文部省の前身となり現在も東京医科歯科大のキャンパスとして使われています
見所は、関東大震災にも耐えた入徳門(1704年建立)を入り石段を登った先にある杏壇門や大成殿(孔子廟)などの黒漆と銅瓦による重厚な建築で、石畳を敷き詰めた回廊からの存在感溢れる景観がなんとも良い感じでした。

2010年06月29日

大内宿

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大内宿は、福島県下郷町にあり、会津と日光を結ぶ下野街道(旧会津西街道)の宿場町として整備され、江戸時代には会津藩をはじめ新発田藩、村上藩、米沢藩などが参勤で利用しました。
現在、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており街道沿いに連なる寄棟造・茅葺きの旅籠群や民家、茶屋が水路、石畳に石物が当時の賑わいを偲ばせていました。

2010年07月27日

旧内山家住宅

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旧内山家住宅は、福井県大野市にあり、幕末期の大野藩の藩政再建に尽くした家老・内山七郎右衛門の屋敷で、主屋、数奇屋風書院、味噌蔵、米蔵、衣装蔵があります。
主屋は、1882年の建築で切妻造・瓦葺き(建築時は板葺き)、大きさは桁行き7間、梁間4間と奥入りで大正時代に建てられた数奇屋風書院の離れが縁沿いに廊下でつながっており、書院の座敷や母屋の板間、二階の窓からの池泉庭の眺めがなんとも良く、長居して和めました。
しかし、大野藩の借財を80年かかるところを20年で返済した・・・敏腕家老内山家!!凄すぎます・・・。

2010年08月22日

麟閣

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麟閣は、福島県会津若松市にある若松城の本丸にあり、千利休の子・・少庵によって造られた茶室といわれ・・・当時千家が途絶えるのを惜しんだ蒲生氏郷によって匿われた歴史があります。
千家はその後・・・少庵の子宗旦に継がれその孫の代に武者小路千家・表千家・裏千家の三千家が興され現在に至っており・・・・普段より決断をさまられていた大名は・・・さぞ精神統一の場として用いたのではないかと想像しながら・・・錆びた良石や蹲、寄付・腰掛を眺め物思いに浸るのでした・・・。

2010年08月23日

会津城下町

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会津城下町は、福島県会津若松市に広がる蔵造りの商家や武家の役宅が並ぶ町並みで、藩政時代を思わす景観が現在も多く遺されています。
ノスタルジックなバスの通る路地には、藩御用達の造り酒屋やお茶問屋の蔵、漆器店・・・・会津藩家老内藤家(2200石)邸宅跡の白露庭と見所たっぷりでした♪
古い町には・・・地域に結びついた産業や技術、繋がりがや知恵があり、町の形が人の形を成している様でなんとも良い景観でした。

2010年10月13日

一乗谷復元集落

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一乗谷復元集落は、福井県福井市にあり、越前に勢力を誇った朝倉氏5代約100年の城下町で、武家屋敷や町屋・商家が復元されています。
一乗谷川沿いに造られた城下は、上・下の土塁と石垣の枡形の城戸によって守られ・・・往時は1万人余りの人口を抱え北陸一の繁栄を誇ったといわれています。
現在は道を挟んだ東側に朝倉氏館跡・庭園・武家町跡が並び、西側に町屋や商家が復元され・・・当時の町の暮らしを偲ばせていました。
しかし、孝景・氏景・貞景・孝景・義景・・100年の栄華!!文化人が揃って居たのに・・・なぜ!?あのような歴史顛末になったのか、今もって謎です・・・。

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